ダメ日記

30代の残念な感じの女性社員の日記

ぜいたくな悩み

贅沢な悩みだと思うけれど、時々死にたいなと思う事がある。衣食住もあるし、家族の関係も良好、多くないけれど友達もいるし、仕事は本当にやりたい事じゃないけど人間関係は恵まれ楽しいこともあるし、なのにときどきなんで生きているんだろう?と考える。

理由ははっきりしていて、創作意欲がなくなったからである。私は昔から絵を描いているのだけど、最近描く気が起きなくなってしまった。子供の頃、引っ越しが多く、いつも転校生で、周りにうまく適応できなかった。いつも無理して表面的に人と接していたら、いつのまにか自分がこの世から消えることを妄想するようになった。引っ越し先の現実や常識がその都度変わるものだから、何が現実かよくわからず、常にステージを通して現実を見ているような距離があった。今思えば軽い精神病だったのかも。日常生活で表に出てくる私の言葉、表情、行動は私の内面とちぐはぐだったけれど、絵の中では自分がいいたいことが唯一素直に表現されてると感じ、周りの人にもそれなりおもしろがられるものを作っていた。絵に夢中になっている瞬間だけは、ステージの現実と自分の精神世界が一つになり、外の世界が消えた。興味ある事が一つしかなかったから、進路で迷う事はなかった。

ところがここ数年、少しずつ夢中になることが減った。30を超えた今なにも描きたいという気が起きない。他に趣味もなく、技術もなく、子供もほしくない、何もしたい事がなくなって、いよいよ存在意義がないように思えてくる。冷静に考えれば、生きてるだけでいいじゃない、と分かっているんだけど、気持ちがついていかない。また実際に本当に死にたいかというと、そうでもないと思っているけれど、ついさきほどぼんやり天井を眺めていたら、40までは頑張って、40までに楽しい事なかったら死のう、ということを考えている自分がいた。

小学生のころから死にたい消えたいと考えていたから、もともとあまりやる気のない生き物だったのだろう。仕方がない。

生きたくても生きれない人がたくさんいるのに、なんでこんなぜいたくな悩みをもつのだろう。暇になると、しょうもないこと考える人間の残念な性質。

1年前

生理による不安定なホルモンのせいもあるだろうか、Aさんとお別れしてから半年がたってまだ寂しいせいもあるだろうか、どちらもある程度影響があるかと思うけれど、今年1月ごろから、なんで生きているんだろうという気持ちが消えない。

去年の今頃、Aさんと夜空が見えるバーに二人で飲みに行った。カクテル飲みながら他愛もない話をしていたら、Aさんが仕事鞄の中をごそごそしだして、中からティファ二ーブルーの小さな箱を取り出した。

「誕生日、俺まだいるか分からないから半年祝い」

中には鍵の形をしたローズゴールドのネックレス。人生でアクセサリーなんかもらったことなんてなくて、ましてや付合ってもいない人からこんな高価なものをもらうと思ってなかったから、嬉しさ半分、正直困惑した。その場でつけてみてって言われて、つけてみたら「似合うよかった」って言われて、なんでこの人女性の扱い慣れているんだろうと考えながら、自分がそんな扱いを受けると思ってなかったらとまどった。Aさんの重いと思われないための予備線なのか「いらなくなったら売って絵の具買っていいから」と言ってきて、なんでAさんはこんな大人なんだろうと考えた。

Aさんがバーの窓から見える満月をさして、「俺がいなくなっても月をみたらこの地球のどこかにあなたを思ってる人がいるって思い出してね」さすがにクサイ台詞だなぁ結婚してるくせに何言ってんだろ、とそのとき若干冷めた気持ちで聞いていた部分もあったけれど、今となっては月を見て泣き出す自分もいて、一年たっていろいろ変わったなと思う。

Aさんは今なにしているんだろうか。奥さんと仲良く暮らしているんだろうか。お別れするとき「幸せになるんやで」なんて綺麗ごとを言ったけど、もしもAさんが自分の事なんて忘れてし幸せそうに暮らしてたらたぶん悲しくて、取り残された気持ちになって、ますます落ち込むんだろうな。勝手だね。

 

早く忘れたい

告白してきた3人目の人はとにかく優しかった。

身長が高くて頭が良くて気が使えて、怒ると怖い事以外は理想的な人だと思った。

だけど今回もやっぱり結婚していた。

最初はもちろん断った。

だけど自分が尊敬していて、頼りになっていつも冷静でかっこいいAさんが、一生懸命弱った感じで告白してきたら、全然経験がない耐性がない大学時代こんなことあったことない押しに弱い人が、ちょっとだけ流されてしまっても 多少しょうがないと許してもらえないだろうか。

そんなAさんも4ヶ月ほど前に帰国した。帰国してからも一週間に一度くらいメールのやり取りがある。自分からはめったにしない。いつも向こうから。

だけど曜日は違うけれどきっちり一週間に一度メールがくるものだから、義務感から送ってきているのではないかと考える。Aさんは責任感が強すぎて自分の仕事を増やし、ストレスが原因の病気を年中患っている。そんな責任感強い人に、私が一度「寂しい」といっちゃったものだから、「そろそろ送らなきゃ」と考えながら送っているじゃないかとおもって、やること増やさしちゃって悪いなぁと思う。

忘れてくれていいのに。

忘れる事が自然なのに。

別にあのとき「ずっと好き」って言ってくれた事そんなの無理だって分かっているよ。

嬉しかったけど別にまた奥さんの事が好きになっても 他に好きな人ができても怒らないよ。

そんなもんだよ。だからきっちりメール送って来なくても大丈夫なのに。

私も早く忘れたい。

日中はなんともないのだけど、朝起きて体を横にした瞬間、となりにいたらなぁと考える。夜はお布団に入って天井をみあげたときに、またAさんのニヤニヤした情けない笑顔がこっちを見下ろしてくれてたらなぁと考える。

こんな感情的な日もあれば、冷静になって、仮に二人でくらしている事を想像をしてみて、やっぱりAさんが独身でもうまくいかなかったなぁと思う日もある。数年経って、恋愛感情がなくなったときに、Aさんは怒るときめちゃくちゃ怖いし、私はビビリだから相手の顔色を伺いながら生活をし、いつかノイローゼになってたぶん逃げるんだろうなというわりとリアルな想像をする。

または、私は相手の事が本当に好きだったのだろうかと考える日もある。好いてくれる相手がいる状態や安心感が好きなのであって、しかもその相手がルックスも中身もかっこよかったわけで、でも本当に相手の事が好きだったんだろうか、って。

それでもいなくなってしまうと、相手を理想化してしまい、ほぼ毎日考える。次の人に会えればいいけど、ほんとうに会えるのだろうか。来年こそはバレンタインデーやクリスマスを誰かと祝ってみたいな。それがAさんよりも素敵な人だったらいいなと思いながら、

やっぱりまた涙が落ちてきて、

これはAさんが恋しくて流れる涙なのか、

既婚者にしか好かれない自分を惨めに思う涙なのかわからない。

あーあ。未来がないなら早く忘れたい。

娘である私が言うのも何だが、父はいわゆるエリートコースの人生を歩んでいる人物だと思う。正確にいえば、途中までは順調歩んでいたのだが、最後に持ち前の運の悪さでそれが多少狂ってしまった。それでもサラリーマンとしては、成功している方だと思う。
父 は信州生まれ。姉が一人いる。東京の棒私立大学に通い、卒業後に上京。母に会って30代ちょっとで結婚。30年間商船会社に勤めた。娘から見ると、 努力家でまじめ、教育熱心で家族思いのいい父なのだが、少し短気で自分勝手なところがあるため、そこまで友人は多くないようにみえる。そして運が悪い。

私が高校生のころ、毎晩のよに近々海外支部の社長を任されるかもしれない、と楽しそうに話していた。受験のほうが心配だった私はハイハイと適当に聞き流していたが、今思えば、30年間サラリーマンとして我慢し続けた父にそれはとって企業に入社してからの最終ゴールだったのかもしれない。

海 外支部の社長になることがいよいよ現実になりそうなとき、世界的な大不況がおこった。父は荷造りをはじめ、ソファは日本においていくべ きか、テレビあたらしい物を買うべきかと悩んでいたときの出来事だった。詳しい事は分からないが、父の勤めていた企業も経営が悪化、海外支部社長の話は無しになり、その企業の下請け会社に異動になった。母曰く、給料もガクッと落ちたらしい。

それから毎晩お酒を飲みながら、「お父さん、海外支部の社長になるはずだったの に、、。」という話を聞かされた。


父は、お金を貯める事が好きな割に、お金 が貯まらない。ファイナンシャルプランナーの資格をとるほどお金が趣味である。「おすすめの本ない?」と聞いたとき「金持ち父さんと貧乏父さん」 の本を渡された。株をやっているが、2007年のリーマンショックで相当な額を失ったらしい。どんまい。


異動のことでかなり落ち込んだ父だったが、次の年運搬企業同士を繋げるネットワーク的な会社を立ち上げることに専念して、少し元気を取り戻した。新しい会社を盛り上げようと、世界中からビジネスマンを呼び、京都での初会合を計画するのにはりきっていた。

あるとき、英語でスピーチをしなくてはいけないらしく私に文法や内容を見てほしいとメールしてきた。「オバマさんのように、ユーモアをいれつつ、かっこいいスピーチを頼む。」と無理な注文。この会合は京都新聞を含め、6つの新聞会社に記事が載ることになっていたらしくウザいくらい張り切っていた。会合は2012年4月9日。


4月11日は東北大震災があった日。当然、新聞は地震のことでいっぱいで、会合のことは6つの新聞ではなく2つの新聞に小さく乗っていた。広 告かと見間違えるくらいのすみっこにある小さな四角形に収まっていた。震災被害者を考えると、それくらいの扱いで当然である。だけど、父の今まで人生、ちょっといいこと→はしゃぐ→裏切られる→ちょっといいこと→はしゃぐ→裏切られ、、、の流れが毎度同じで少し笑える。

父の不運は、私にとってしょうしょう幸運だったりする。高校生のころ、父は私が芸術の方向にすすむのをいやがっていた。 「芸術じゃ稼げないよ」「芸術は趣味にしたら?」とよく言われ、家を出たくて仕方がなくなり、海外の大学に入学したりした。最近はそ芸術に反対するような事はまったくいわなくなり、 むしろ「自分の人生、好きなようにしなさい。」というようになった。年齢のせいもあるかもしれないが、ずっとまじめに働き続ければ、安定した地位と収入が 得られると信じさせられたバブル期時代の神話に裏切られ、そんな神話を信じることに意味はない、どうせ辛い思いをするのなら、好きなことすればいい じゃないか、という考えに変わったからだと思う。近頃は、父に「どんな作品つくっている?」とか、「同僚が展覧会やっているんだけど、この絵どうおも う?」と聞いていたり、芸術に興味をもってくれるようになり、以前より仲良くなったと思う。

父と1年ぶりくらいにボストンで会い、私が「そういえば「金持ち父さんと貧乏父さん」の著者が破産したね。」と言うと「そうだな。やっぱりあんなのが上手くいくわけないんだよ。リスクが高すぎる」と、以前私にあの本を読めとすすめてきたことをすっかり忘れていた。

と、ここまで少しふざけて文章を書いたが、自分は贅沢せずに、母、私、弟、妹、を一人で養ってきて、私のような糞甘ったれでお金にならない訳の分からない芸術という学問を学ぶために大学院まで行かせてくれた父には、本当に感謝しており、尊敬している。